とある美術教師の制作日記

絵の制作や教育のことなんかのつぶやき

プラネテスは良い話だ

 

 「プラネテス」という2075年を舞台にしたスペースデブリ屋(宇宙ごみ掃除屋)のアニメだ。原作は幸村誠さんのマンガになる。全4巻。

 

今年の1月からNHKEテレで放送されていて、たまたま全話録画していて、絵を描きながら最近見始めた。ちょっと前にブログに上げていたが、26話中、20話見た。

少しネタバレになってしまうのだが、主人公がとある宇宙船の宇宙飛行士を目指して頑張る話になってくる。

宇宙兄弟の六太みたいだが、その夢を追う姿に胸が痛くなる。

厳密には、その姿と自分を比較して痛くなるのだ。

 

どの分野でもそうだと思うし、美術をやっている人もそうだと思うが、第一線でプロとして専門分野をやっている人はごく一部だ。

ほとんどの人はどこかである程度のところで区切りをつけ、専門分野にある程度、関連した仕事か、そうでない仕事へと就く。

学校の先生もそうで、教育学部出身の先生でもないと、例えば数学者や物理学者、画家、音楽家などを大学に入りたての頃は目指していたはずだ。

それが何かをきっかけに専門分野を極める側から、子どもたちを教える側に回る。

 

もちろん、誰もが教師として勉強を重ね力を高めていく。中には教育に目覚め、教育のスペシャリストとして専門性を高めていく人もいる。

そのあたりで、美術は区切りが中途半端である。

スポーツみたいに体力的にピークを過ぎたり、最先端の研究施設から離れるわけではない。

ある程度であれば、制作を続けることができ、コンクールに出すこともできる。

8割、9割の美術の先生が区切りをつけているが、僕は中途半端だ。

だからといって教師として、手を抜いているつもりはないし、生徒、保護者、他の先生にも指摘されたことはない。

でも、作家になりたいなぁ、という憧れの炎も少しくすぶっている。

こういう、何かを目指すアニメや映画は、勇気をもらえもするが、自分の状況を顧みて苦しくなる。

 

僕は、夢を見ると大体、悪夢だ。

特に忙しくて絵を描けていない時には、大学の絵画コースの同級生から馬鹿にされる夢を見る。もう大学を出て20年近く経つし、同級生で制作している人はほとんどいないが。

そんな夢を見るときにまだ心の炎がくすぶっているんだろうなと感じる。

僕くらいでこのレベルなので、トップアスリートなんて、遥に苦しい思いをしているのだろうと想像する。

そういう様々な苦しみに常にぶつか理、乗り越えている人がトップアスリートなのだろう。

好きなだけでは、楽しいだけでは夢を歩むことはできない。

そんな感情を引き起こさせるからこそ、プラネテスは良い話を描いたアニメだと思う。


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僕の学校には寮がある。月に1回くらい当番をしている。

土日の時はは昼夜24時間当番の時もある。

今日は夜の当番だ。14時間くらいいるのだが、勤務は7時間扱い。

その合間に絵を描こうとキャンバスを持ってきた。

前回も違う絵を描いていて、興味を持った運動部の生徒の一人が、自分の描いている絵を見せてきた。授業で教えてない生徒だけど、こういう繋がりも楽しい。

たぶん、舎監室で絵を描く先生は、全国を見ても、なかなかいないだろう。

美術の人は変人と言われるのが褒め言葉。普通の人と言われるのが嫌。