とある美術教師の制作日記

絵の制作や教育のことなんかのつぶやき

マンガみたいな話

今回は学校の先生の良いところの話。

前に勤めた高校は、始めの2年間は男子バレーボール部を持った。その時の話。

 

初めて学校に勤めた時、中学校で女子バレーボール部を体育の専門の先生と2年間持った。その時から10年以上経っていたが、採用されて、最初に持つ部活がバレー部なのは、これも縁だなと思った。
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ちなみに僕はバレーボールができない。ボールを打つこともできない。走ることはちょっとできるけど、ほぼ運動オンチみたいなものだ。昔の知識でやって行くしかない。

 

体育館に行ってみると、10人弱の生徒が練習していた。経験者もいて、運動能力も高い。

でも、好き勝手に練習して、ゲームしておしまいだった。ずっと専門の人が顧問をしていない。

もう一人の継続した顧問の講師の先生に聞くと、練習試合を他校としていないと言うことだった(町から少し離れており、相手もなかなか来てくれない)。

また、保護者会がトラブルで無く、練習試合に行くための学校バスの利用料を払う部費がない。保護者の送迎も難しいとのことだった。

せっかく来てくれた相手とも、練習試合でもめてできないとの状況だった。

でも、何とか練習試合を入れてやって、普段の練習の意識を高めたいと考えた。

練習試合に向けて練習し、成長を確認させ、課題を洗い出すために。

仕方なく、その時のチームは学校からの割り当ての分の部費(本来はユニフォームやネット、ボール等を買うもの)で練習試合を1、2試合入れ、4月からの3大会を終えた。

結局、3大会、1勝もできなかったが、チームの雰囲気が変わり始めて楽しくなってきたので、3年生はそれなりに満足して引退した。卒業の時に先生と1年生の時からやりたかったデストピア言ってくれた。

 

話の本腰は、新チームから。
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新チームになった時、部員は2年生だけの4名になった(1年生0)。全員経験者だからまだそれは良かったが。

仕方ないので、ビーチバレー部になるかと本気で考えた。ビーチバレーはひとチーム2人なので。

でも何とか、友達を2人、未経験だったが連れて来て、最低人数の6人になった。

 

そこで生徒たちにはチームの目標を立てさせた。生徒たちは「県ベスト4」を目標に掲げた(この1年間で1勝しかしてないのに)。

僕はその目標をプリントアウトして、体育館に貼った。

生徒は恥ずかしがったが、

「この目標を見て笑うやつは笑わせておけ。みんながそれを本気で練習に取り組んでいたら、誰も笑ったりはしない」と伝えた。

そんな船出だった。

 

また、色々ともめてすぐに辞めるというので、ルールを3つ作った。

①準備と片付けは全員でやる。誰が偉いなどない。

②チームメイトの嫌がる文句を言わない。

③毎日の練習メニューはみんなで話し合って決めてから行う。

このルールのレベルからのスタートだったかわかるはず。

 

また、月に1度は練習試合をさせてやりたいとキャプテンの保護者に会計を頼んで、月に1000円だけ集めることにした(経済状況も厳しいところがあるので)。

バレーボールの練習試合を組むのは気を遣う。力の差がある相手だと2度としてもらえなくなる。強いところはBチームと試合している方が練習になるから。

また、力の差がありすぎるとボロ負けして、生徒が意気消沈してしまう。上手く少し上の相手と組むのが理想だ。

近年の大会の結果をもとにしながら、分析して相手を決めてお願いする。

同じ高校の先生なのに、この時はかなり気を遣う。まずは前任校に頼んだ。

ひどい所だと4回頼んで4回断られたところもある。先輩たちの行いかな?

予算の関係で月に1度しか組めないので、本当に相手選びには気を遣った。

練習試合に行くと、生徒たちもおもしろいもので、大きな声の出るチームや姿勢の良いチームなど、色々なチームの良さを見て、自分たちのものにしていった。

逆に良くないチームに対しては、我が振りを直した。

生徒たちは練習試合を本当に楽しみにしていた。

また、練習試合の個人のデータを取り、分析して課題や良かったところをデータで見えるようにした。

すると、普段の練習の、中身も向上してきた。

 

うちの高校のバレー部の伝統的に良かった点がある。なぜかOBやその友達などが練習に来てくれることだった。

部員は6人しかいないのに、いつの間にか、ゲーム相手が5、6人いる。

毎日の練習でゲーム形式ができたことも良かった。

 

それでも、未経験者の一人がなんだかんだ、やる気がなくなり、途中で辞めて5人になった。

仕方ないので、練習試合には、引退した3年生にお願いして連れて行った。

大会では、3年生は出られないので、たまたま練習に遊びに来ていたバスケ部に助っ人を頼んだ。

その子は、バレー部が楽しくなり、3年生ではバスケ部を辞め、入部してくれた。

 

そんな感じで、力を伸ばして来た所に、2月、コロナ禍がやってきた。

休校に休校が重なり、時差登校など、部活動停止期間が続いた。

休校が開けたと思ったら、またすぐに休校になり、練習ができない。

練習試合を手配しては、何度もつぶれた。

そして楽しみにしていた大会も2つ中止になった。

キャプテンは優しい子で、気持ちが折れないように次がある、あきらめるなと何度も電話をかけた。

そして、最後の願いだった6月上旬の高校総体も中止になった。

僕自身もがっかりした。

 

けれど、6月下旬になるとコロナが落ち着いて来て、7月下旬に総体の代替大会が行われることになった。

3年生に区切りをつけてやるための大会だった(3年生出場優先)。

 

7月に入り、やっと部活動が解禁。3週間で大会まで仕上げないといけなくなった。

練習試合も入れたが、持久力は完全には戻らなかった。

他校では7月までは3年生は進路の準備で出場しないところもあった。

うちの3年生も受験指導が終わって練習に来るので、1時間程度しかできない時もあった。

今回の大会で、運が良かったのは、トーナメントでベスト8までは、ベスト4のチームとはあたらないところだった。

今までの大会では、1つ勝てても次がベスト4のチームと当たり、それでやられていた。

今回は参加チームが少し減ったことと、くじ運が良かったので2つ勝てばベスト8というポジションにこぎつけた。

その山に入ったチームは、どこもベスト8を狙っていたと思う。

 

いよいよ、大会になった。

一回戦の相手は練習試合で同じくらいの力でやれたチームだった。でも、監督はバレー専門の体育の先生で、会場校でもあった。

出だしは、久々の試合で緊張し(いつものことだが)、力が出ない。相手のペースに合わせてしまい、あっさりと1セットを取られてしまった。

「ここから1セット目のつもりで切り替えて2つ取りに行こう。相手のペースに合わせず、レシーブからリズムを作っていこう」と気合いを入れた。

本当にシーソーゲームで苦しいこともあった。

自分で自分を褒めるが、この大会のタイムを取って、流れを変えることは8割くらい上手く行ってたと思う。

まぁ、僕は専門ではないので、タイムを入れるくらいしかできないが。

奇跡的にフルセットを競り勝つことができた。

相手の監督も自分のチームが勝ったと思っていたそうだ。それくらいの接戦だった。

 

2回戦の相手は、過去にベスト4まで入ったチームだった。

そこの外部コーチは長年そのチームに携わり、ベスト8を目指せるチームをいつも作っていた。

第1セットはさっきの試合の勢いで、割とスッと取ることができた。そのせいでベスト8がチラついてしまった。

第2セットは、そのために変にプレーが固くなり、逆にあっさりと取られてしまった。もう、コロナでの練習不足でスタミナ切れしたのだった。

第3セットは、やはり相手がリードする形に成った。何とかタイムを入れて、流れを切ろうとした。

その時、僕を含めてチームが一体になった感じがした。

素人の僕の話を一心に聞き、キャプテンもチームの良い雰囲気を作ろうと笑いを交えながらで明るく振る舞う、それに部員も熱心に答える。

そのおかげで相手に追いつき、シーソーに持ち込んだ。

それでも相手がマッチポイントを取り、苦しくかったが、粘り、何度かデュースを重ね、ついに、ついに、勝つことができた。

本当に生徒と勝ちを喜んだ。

笑顔がこぼれるほどだった。

1年前に4人しか部員いなかったのにベスト8まで来れたのは、本当にマンガみたいだなと強く感じた。幸せだった。

 

次はベスト4をかけた試合だったが県で一番のチームで、全国でも優勝を狙えるくらいの実力校だったのであっさりと負けた。

体力的にももう、限界だった。

1セット目は1点。2セット目は3点だった。

でも、うちのバレー部がベスト8に入ったのは20数年ぶりだったそうだ。

 

大会明けの職員朝会でベスト8を嬉しげに自慢げに発表した。

なんと、そのうらで弓道部が奇跡的に準優勝しており、少し影に隠れてしまった。

 

でも、そんな感動的なドラマがあるのが、学校の楽しさでもある。

今年、正月に初詣に行った。

並んでいると僕を呼ぶ声が聞こえる。

その時のバレー部の一人が声をかけて来てくれたのだ。

彼女と一緒だった。

その子は中学時代にバレー部だったが、部員が少なく女子と練習していた。その時の女子の当たりがきつくて、不登校気味になったそうだ。

そんな子が今は大学でバレーを続けながら、理科の中学教師を目指している。

そういう成長に関われることが、教師の仕事の魅力だ。