とある美術教師の制作日記

絵の制作や教育のことなんかのつぶやき

いよいよスタート、始業式

いよいよ始業式。

2学期が始まってしまった。こうなったら覚悟を決めるしかない。

教師もめげる。でも、仕事なのでその姿は見せない。

 

生徒たちは元気に登校してくれた。

クラスメイトと会うのを楽しみにしてくれていたのかもしれない。

こんなコロナ禍でありながら、ありがたいことに全員、無事に揃っていた。

もう、県民6人に1人は累計でかかっている計算になる。それで揃うのはなかなか、難しいと思う。

 

僕は運が良い(たまたま。勘違い)。

本当は色々トラブルにあっているのだけれど、いつからか、そう考えるようになった。

その方が運を呼び寄せることができるからだ。

前任校の2年間担任したクラスでは、2年間一人もコロナの陽性が出なかった。

出たから不運という訳ではない。

でも、コロナ禍で子ども達の学校への行こうという気持ちは以前より下がっている。

 

前向きに物事を考えて行くことは大事だ。

それに伴う発言、考え方がクラスにおいても雰囲気作りになるし、居心地が良くなる。

 

美術をやっていると壁にぶつかっても強くなる。

製作の中で、失敗しても直せば良いし、失敗が良い効果を引き出すことがあるからだ。基本、スムーズに行っている作品ほど、気づいた時にはズッコケている方が多い。

そんな経験のおかげで、日常の中の失敗もそこまで気にしなくなる。

取り返しのつくことは、後から取り返せば良いのだ。

 

ロングホームルームは前日の準備もあり、

2学期の行事の確認や文化祭のクラスで何するかの投げかけ、個人の目標決めなど、スムーズに進んだ。

でも、良くなかったのは僕のしゃべりだった。

久しぶりで思いの外、話せない。

まぁ、ここのスイッチが入っていくには、リハビリが必要ね。

僕は人前では話すのは得意ではない。

個別に話すのが得意なタイプ(になってきた)。

何か一つ自分の特徴をつかんで来ると先生の仕事をやりやすくなる。

昔はあんな先生になりたいと目標はあってくじけるこもあったが、あの先生のやり方はあの先生にしかできない。

あの先生と違うところで、強さがあれば良いと気づいたらやりやすくなった。

人前で話すのが得意ではないから、美術に進んだところもある。

そんな人が先生になるのが人生の不思議なところでもある。

僕の性質は遅効性だ。

 

放課後は、一人が美術部に来た。

ここが、実は今の美術部の課題。

引退した3年生は頑張っていたけど、2年生はほとんど来ない。

前の先生の流れを変えたいのだが、なかなか変えることができない。

 

美術系に進学を考えている生徒もいるのだが、来ないのだ。

美術に進まないのであれば、幽霊部員は仕方ない。

でも、大学ならまだしも、専門学校、短大に進んだなら1年くらい頑張ったら、すぐに就職活動だ。それで結果を出すのは難しい。

少しでも高校時代に取り組んでいた方が、後々に大きな財産となる。

僕は才能とか素質とかどうでも良くて、一つのことに打ち込む力を伸ばしたいと考えている。

その力がある生徒は、どの分野に進んでも力を伸ばして来るからだ。

大切なことは楽しんでやること。

 

その生徒は三者面談があるのでそれまで、デッサンをしたいとやって来た。

そこで二人で取り組んだ。

三者面談の時間が来たが、やっぱり、面談が終わってからも続きをやりたいと面談後もデッサンを1時間ほどして行った。

その時に一緒に描いて見せたり、話したりする時間が大事だ。

少し仲を深めることができ、僕自身も幸せな時間だった。

こういう輪を広げようと努力中である。

さぁ、半年後、一年後どうなっているか?

そんな種まきをした始業式だった。