ちょっと言葉が悪くなってしまったけど、今日はうちは修了式だった。
今年度は転勤してきて、1年生の担任を持った。
1年間、生徒同士のトラブルも1件もなく、保護者からの苦情も一件もなく、
終えることができた。
嬉しくて帰りにケーキを買って、晩御飯の後で家族で食べた。
クラスの目標は「仲良くすること」(高校)
小学校みたいな目標だけれど、高校でも十分大事だ。
仲が良いからこそ、喜びを分かち合い、苦しいことも共に乗り越えられる。
でも、仲良くするためには自分勝手にするわけでもなく、
相手に合わせすぎるわけでもない。
自分勝手にしたら、どこかで誰かを傷つけている。
人に合わせすぎたらそれはそれでストレスだ。
僕は仲の良い状態は、少しずつの気遣いの輪だと考えている。
気遣いが負担なく、気持ち良く支え合う感じ。
また、大切なことは完璧な人間はいないこと。
だから誰でも失敗するし、失敗から立ち直ろうとする人間を暖かく応援してほしい。
僕自身も多くの失敗から学んできたし、そうやって人は成長すると。
完璧じゃないからこそ、色んな人間がいて、足りない部分を支え合えば良いのだと。
好きな人がいるからこそ、苦手な人もいて当たり前。
誰でも愛するなんてことはできない。神様でもないのだし。
合わない人がいても当たり前だから、合わない人を嫌う必要はない。
今はちょっと合わないだけと考えよう。
嫌うと一緒にいるのも苦痛になる。場合によっては心のバランスを壊してしまう。
ひどい場合はいじめてしまう。
本当に幸せな人間は人をいじめたりしない、心に何か闇があるからこそ、
人に加害を加えるし、それを楽しいと感じてしまう。
そんな人になってほしくはない。
そういったことをクラスの生徒に伝えてきた。
もちろん、多少なり、友人の行動に不満になることはあったと思う。
でも、喧嘩やトラブルになるほどではなかった。
そんな思いを持って僕も生徒たちに接するからこそ、伝わってくれるのだと思う。
僕は基本、人を嫌わない。僕自身も欠点はあるし、誰でも欠点があって当たり前だ。
だからそこを責めない。
適度に接してうまく回そうとする。
逆を言うと全ての面で尊敬する人もいない。
どんなに優れている人でも欠点はあるので。
それが人間だと思う。
こういう言葉かけが上手くいって、仲の良いクラスになった。
一番協力できたのは文化祭の劇だった。
それぞれの個性を出し合い、作り上げていった。
クラスマッチも面白い。極端に下手な生徒が見当たらない。
なぜかというと上手くカバーするから見えない。
自分が高校生の時は担任の先生は遠い存在で、ただの連絡係のような存在だった。
でも、高校でも十分、生徒と仲良くなれ、思いを伝えることができる。
僕は美術の教師なので、クラスの3分の1しか、専門の授業ができない。
あとは、音楽と書道に芸術の授業は分かれてしまうので。
それでも毎日のショートホームルームや終礼、ロングホームルームや行事などで伝えていける場はある。
こうやって、心が通うのが学校の先生は面白いところだ。
今日は最後のホームルームで、生徒に事前に書かせたクラスメイトへの一言を
今まで撮ってきた写真と共に、動画に載せて上映した。
みんなへの感謝の言葉や楽しかったこと、クラス替えをしたくないなどの
メッセージにクラスみんながしんみりしていた。
卒業式みたいな最後のロングホームルームだった。
昨日、この動画を作るのに気が乗らなくて22時から作り始め、
朝の3時半まで作っていた。写真選びに悩んだ。
朝5時から朝食の準備などを始めるので1時間半しか寝れなかった。
日曜日なのにそんな夜からの動きだったので、
僕も最後のさみしさに気乗りしなかったのかなと思う。
今まで10年間くらい美術コースのある高校ばかりだったので、3年間、
同じメンバーだから仲良くしなさいが鉄則だったけど、
普通科でクラス替えの別れは思うところあるなと感じる。
晩御飯を食べた後、ケーキを食べて、風呂に入って、出た時に体重を測った。
1日で3.5kg痩せていた。もともと最近、ちょっと太り気味だったのだが、
何にエネルギーを使ったのだろう?
そんなことを言っていても、来年度はトラブルがあるかもしれない。
別にあっても構わない。
それを乗り越えて地が固まっていく。
トラブルがないことが絶対ではない。
トラブルがないのが正義なら、
それはそれで見えないことにしてしまう。
トラブルが起きても対応して見せる心の余裕は持っておきたい。
それでも、みんなで進級になり、笑顔で修了式を迎えられて良かった。
あ、最後の学級だよりも気乗りしなかったので(クラスの解散の別れがさみしく)作ってません・・・
通知表を発送する時には同封できるように頑張ります!