とある美術教師の制作日記

絵の制作や教育のことなんかのつぶやき

幹事長あいさつ。

教師には年に1度、くじを引く日がある。(うちの県だけ?)

それは4月の新年度早々だ。

早いと4月1日にある。

 

そのくじとは月当番を決めるくじである。

5、6、7、8、9、10、11、12、1、2、3、4月の当番だ。

月当番の大体の仕事は職員の両親など、家族の葬祭があった時の

職員代表としてお通夜、葬式の受付の手伝いをしたり、参列したりする。

あとは大きな学校行事の打ち上げの飲み会の開催、運営だ。

 

以前は、他にも仕事があったのだと思うが、主にお葬式の手伝いと飲み会の世話だ。

お葬式は家族葬が増え、ほとんど仕事は無くなった。

飲み会に関してもコロナ禍の影響で3年間近く、行われていなかった。

 

学校での大きな飲み会というと歓迎会、体育祭の打ち上げ、文化祭の打ち上げ、忘年会、送別会だ。

大きな飲み会というのは、学校の職員全体の飲み会で100人近くになる。

特に歓迎会、忘年会、送別会は参加者が多く、

それだけの人数を入れるためにホテルの宴会場を使って行われる。

だいたい、どの学校も時期が被るので、半年、1年前から予約し、会場を抑える。

大体、どの学校も時期が重なるので、面白いことに大きなホテルになると

一つのホテルの中で数校も学校の飲み会が入っている。

時間もほとんど被っているので、帰るエレベーターやロビー、トイレで他校の先生に出くわす。

忘年会や送別会の時期は、町に向かう車、電車、バスが教員だらけになっている。

 

ということで、僕は4月のくじ引きで送別会のしかも幹事長という、

一番、くじ運が悪く、大変な仕事を引き当ててしまった。

(この幹事長ではない)

送別会はその名の通り、別れの会で一番かしこまる会である。

失敗なんてあるのかどうかわからないけれど、

失敗が許されない会である。

みんな、スーツを着てきて、転退任の先生方を送り出す。

この送別会の後から異動の先生は3月いっぱいは

今までの学校に、もう顔を基本的には出さない。

(引き継ぎや片付けが多い先生は31日くらいまで顔を出す)

 

うちの県では3月20日前後に内示があって、4月1日からは次の学校での勤務である。

この送別会までに学校を片付け、中には家の引越しまで終えてしまう先生もいる。

バタバタした3月下旬だ。

 

(この幹事長)

今回の送別会は1月にはコロナ感染者の増加で中止になってしまったが、

やっぱりやろう!と復活してしまったので、色々と準備面で慌てた。

特に僕は幹事長をやったことがなかった。

今の学校が1年目で地域の事情に詳しくない。

(だいたい、歓迎会と送別会は地域のホテルで行う)

3年間やってないので資料もほとんどなかった。

また、せっかくやらない期間があったので送別会の見直しも行いたいという思いもあった。

(転退任者の雛壇が作ってあり、そこに大行列ができる。そんな雛壇をなくすなど)

そんな感じで修了式の後は、送別会の調整でバタバタしていた。

送別会が終わった後は、変な気を使っていたのか、少しヘロヘロになった。

 

結論から言うと、やって良かったなと。

先生たちも盛り上がっていたし、普段関わらない先生方(100人近くいる)と交流ができ、良い雰囲気があった。

自分たちが歳とっているからなのかもしれないが、「飲みュニケーション」は大事だなと改めて思った。

大学を出て1年目の先生たちも楽しかったと言ってくれていたので大丈夫に違いない。

世代間ギャップは・・・・

また、幹事団の先生の意見で、県の取り組みの食べ残しを無くそうというフードロス削減のアナウンスも入れた。

「飲み会の最初と最後に自分の席に付き、集中して、料理を食べましょう」というものだ。

大体、歓迎会や送別会はお世話になる先生、なった先生にお酒を注ぎに行き、

話をしまくって、料理がほとんど食べれてなかった。

今回はほとんどの料理を食べることができたと思う。

ホテルの人にも今まで残食が多くて申し訳なかったので良かった。

 

そんなこんなで疲れたので残りの3日間は休みを入れた。

僕は平社員なので許して欲しい。

まだどこに配属されるかは4月にならないとわからないので。

来年度のことがわかっている、役職持ちの先生方は3月のうちから動いている。

そのうち、僕もそうなるかな?

平社員で担任の先生のままが良いけど。