とある美術教師の制作日記

絵の制作や教育のことなんかのつぶやき

漫画喫茶で所有について考える。

この間、漫画喫茶に行った。

総合文化祭が金、土、日だったので代休を入れていた。

でも、授業が午前中だけ入っていたので、

代休だけど、ショートホームルームと授業をして、

早めに帰らせてもらった。

 

僕は年に1、2回はふと漫画喫茶に行く。

ほとんど、長期休業中の平日に有給をとっていく。

読み続けている漫画の続きを読んだり、

話題作を読んだりする。

まぁ、最近は漫画のタイトルが全然わからない。

ネット漫画が出版されやすくなっているようで、

昔より圧倒的に種類が増えてないだろうか。

作家さん自体、儲けも減っているのではと思う。

 

漫画喫茶は怖い。(饅頭が怖いみたいな)

大学時代くらいから漫画喫茶に行き始めてのだが、

そのころは一度行くと8時間くらい居座っていた。

で、1時間300円くらいで、

古本屋で漫画1冊が100円くらいで売っているので

元を取るために、1時間に最低3冊は読むと必死に読む。

気づくと1回で30冊近く読むことになる。

何かに追われているように必死に読み続けるのだ。

(早い人はもっと読んでいると思うけど)

出る時には、頭がぼぉっとする。

だからたまにしか行かない。行けない。

僕にとっての漫画喫茶は怖い(疲れる)、そんな存在だ。

今はそんなに長時間はいないけど。

 

今回、漫画喫茶に来て、ふと思う。

漫画喫茶も難しい時代に入っているなと思う。

平日というのを差し引いても賑わっているようには思えない。

コロナで閉じられた空間を避けることや人が触れたものを

扱うのが敬遠されているのではないか。

設備自体も古くなってきているし、

一時期は家のない人が住み歩いているという話題もあった。

(終電、終バスを逃した時など、利用させてもらったこともあるけど)

何よりもインターネットで定額読み放題が一番の敵だろう。

 

この間、九州総合文化祭に行った時に、ショッピングモールで

生徒に自由行動の時間を作ろうとした。

生徒は服など店を見て回るが、本屋には行かないという。

それは漫画を冊子で買うことはないからだそうだ。

かさばるし、ネットでダウンロードした方がどこでも読めるからだそうだ。

 

僕は本など、手元に冊子として置いておきたいという所有欲があるけれど、

その価値観と今の若い世代は違うのだと感じた。

インターネット上で、キャッシュレスで購入し、タブレットなどに

ダウンロードし、それを所有する。

そしていらなくなったら消去する。

 

落合陽一さんが、アメリカは環境問題に非協力的のようで

実は、科学技術の進歩で環境問題改善に取り組んでいるとあった。

今回のインターネットの本のように、ネット上で全てやり取りすれば、

3次元上に物を作らなくても、輸送の必要もなく、店頭に並べることなく、

人件費もかさばらず、多くの資源の負担がなく済む。

つまり環境にやさしいのだ。

 

それが当たり前の世代(デジタルネイティブ)になってきている。

よっぽど、僕らの方(それ以前の世代)が環境に悪いのだ。

レンタルビデオ店も昔より栄えなくなってきているし、

ゲームなんかもオンライン上でダウンロードして

購入できるようになってきている。

所有の形が変わってきているのだと考えさせられた。

 

なんか、最近の結婚した1番の理由がマッチングアプリになったそうだ。

所有ではないけれど、出会い方や人との関わり方の価値観も

大きく変わってきているんだろうなと思う。