とある美術教師の制作日記

絵の制作や教育のことなんかのつぶやき

絵が言うことを聞く時

絵を描いているということを聞き始める時がある。

そうしてくると本当に描いていて楽しい。

でも、実際、9割は言うことを聞かず、苦しくつらい期間が続く。

それを抜けられるかどうか。

大学院の先生はその抜けた思い通りに描ける時が快感と言っていた。

 

4月は担任業と、今年度から入学した通信制の大学院でバタバタしていた。

5月下旬のコンクールに合わせ、昨年より制作している絵だ。

これが毎日、数ヶ月間、描いてきても、いうことを聞かない。

スランプではないと思うのだけれど、思い通りに描けない。

ずっと、つらいつらいと思って描いてきて、ふと2日前くらいから、

ふと、絵が言うことを聞き出し、思い通りに描けるようになってきた。

 

絵に限らず、創作系をされている人には、そういう制作期があるのかもしれない。

大体、数ヶ月間、描くような絵は、描き出しは楽しく、

その描き出しに、無限の構想(妄想?)が広がって、

あたかも凄い作品ができるかのようになる。気持ちも高まる。

でも、描き進んでいくうちに自分の実力が出てきてしまうためか、

物質的な影響なのか、筆が進まなくなり、気も重くなる。

なかなかイメージ通りに描けない。苦しくなる。

今回もいつもの通りに、その期間に入ったのだが、なかなか抜けなかった。

抜けないまま、締切が来てしまう作品もある。

 

人によっては出だしの楽しい期間で制作を終えてしまう人もいる。

それもありなのかもしれない。

僕はそういうタイプの絵ではないので、そのつらい期間に入らないといけない。

そのつらい期間を抜けた、絵がいうことを聞き始めた時が楽しい。

生徒もその苦しい時期で手を止めてしまう者もいる。

僕はこのことを恋愛と一緒と言っている。

絵も恋愛もつれない時期があるのだ。そこを乗り越えられるかどうか。

恋愛は言うことを聞かせることが目的ではないけれど。

苦しさを味わいに行くところに、ちょっとマゾっけがあるのかもしれないが、

大学院の先生も似たようなことを言っていた。

あと、コンクールまで3週間の時期に抜けることができた。

これを吉に変えるために頑張っていきたい。